岩手の偉人 後藤新平と原敬
岩手県盛岡市&紫波町での視察日程の合間に記念館巡りに行ってきました。正直なところ今回取り上げた後藤新平氏と原敬氏の出身が岩手であることを知りませんでした。情けない…。
○ 奥州市 後藤新平記念館
2025.01.21.
早朝、盛岡市の神子田朝市で朝食。その後、奥州市に移動して後藤新平記念館へ!
後藤新平と言ったら関東大震災後の帝都復興院 総裁に就任し大規模な都市計画を推進。また、ボーイスカウト日本連盟初代総長も務めた人物でることは承知していました。
しかし、まさか郵便ポストを現在の色にしたのも後藤さんの功績だったとは…
興味深いのは、関東大震災以後の震災復興計画・都市計画です。予算がないにも関わらず大規模なインフラ整備となり財界や政府からも反対が相次ぎました。記念館の資料からもわかりますが区画整理・公園・幹線道路など東京の将来を見越した設計がなされています。(大風呂敷と呼ばれる所以)
予算と先進的な計画に理解が示されなかったことは今となっても非常に残念ですね…。
震災のいろいろな体験はありますが、一言だけ言っておきたいことは、この復興にあたって後藤新平が非常に膨大な復興計画をたてたが、いろいろの事情でそれが実行されなかったことは、非常に残念に思っています。もし、それが実行されていたならば、東京あたりは、戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されなかったことを非常に残念に思います。
-昭和58年8月30日 那須御用邸 昭和天皇 談話 –
都市は四つの敵と闘わなければならない。すなわち、疫病、無知、貧困、無慈悲である。その敵のうち最も害をもたらすものが無知であるということは、今回の震災において明瞭なこととなった。なぜなら、復興計画を進めていく上で、都市計画に対する無知と闘うことが最も困難であったからだ。震災はわれらに災いであったが、その災いが災いに終わるものであってはならない。これを転じて福音となして幸いとなすべきであり、今日申し述べてみたいと思うのは、そこなのです。
– 大正13年 都市計画講習会 講演 後藤新平 –
後藤伯記念公民館は日本で初めて建設された公民館。中に入って見学したかったんですが老朽化により入館できませんでした。奥州市のホームページを見ると「根本的な改修工事を実施するまで休館いたします。」とのことでした。予算が厳しいのかなぁと思いながら公民館を後にしました。
○ 盛岡市 原敬記念館 原敬墓所
原敬は薩摩・長州藩閥中心の政治から出自とは関係ない選挙で選ばれた政治家として3年間、総理大臣として国政を担うこととなります。爵位を持たない初めての総理大臣「平民宰相」として国民に親しまれ鉄道敷設や港湾整備、地域経済の発展を目指し教育改革として高等教育の充実にも尽力しました。
外交ではアメリカとの国際協調外交を展開したため「弱腰外交」と批判されることも…
記念館には原敬日記など多くの展示品があります。展示品を見ていると「原さんってメモ魔だったの?」というぐらいメモの展示が多いです。(原敬(はらけい)日記は読んでみたいと思います。)
菩提寺は盛岡市内にある大慈寺。奥様である原浅さんとともに眠っています。
○ わんこそばも忘れずに!
中尊寺にも立ち寄り、参拝。参道の山道は疲れました…。金色堂の建造物・仏像ともに黄金に輝き綺麗で感動しました。
その日の昼食は「衣関屋」さんにてわんこそばをいただきました。食べ方は、掛け声でお椀にお蕎麦を入れてくれるのではなくこの地域(平泉地域)では、「盛り出し式」といって自分のペースで食べる方式。54杯いただきました!
地域の食文化に触れるのもいいですね。