八甲田山のように
2019.3.4 17:10に父は亡くなりました。
3/5通夜式、翌日葬儀を執り行いました。
大変お忙しい中、ご来賓の皆様をはじめ、地域の皆様にもご参列いただきました。
ご丁重なお心遣いを賜り、深く御礼申し上げます。
父は、今年の1月中旬に体調を崩しました。
当初、肺に水が溜まっているとのことでしたが、肺に癌が見つかり、詳しい検査を行った結果、ステージ4。
手術をしても今年の夏までの命であることを知らされました。
「これが現実」と受けとめることは難しいけれど、この余命宣告を聞き、私は「父の死」に対して覚悟を決めました。
でも、自分の気をごまかすために仕事をしたのも事実…
最後に話をしたのは、亡くなる前日。
「選挙は大丈夫か?」
父の最後の言葉でした。
最後まで心配をかけていたことを痛感しました。
父は、昭和24年4月30日、青森県青森市で生を受けました。
中学校卒業後、名古屋・東京で働く日々を過ごし、岐阜に住まいを移し母と結婚します。
「男なら、泣くな」が口癖でした。
私が決めた就職先は、すべて賛成してくれました。
私に一番最初に政治を教えてくれたのは、父でした。
最初に大野伴睦を教えてくれたのも、田中角栄を教えてくれたのも…。
中学生の時、父とテレビタックルを見るのが楽しみでした。
父は優しかった。
夏の八甲田山のように。
厳しくもあった。
冬の八甲田山のように。
偉大な父…
お父さん、ありがとう。